ノッツです。
Facebookに投稿した同じ内容をブログにも投稿します。
今日は真面目に。
被災地という言葉、普段は使わないようにしてるんですけど、今日は使わせてもらいます。
震災から2年半が経とうとしている中で、そう呼ばれることに抵抗がある人もいると思うので。
写真は気仙沼市の鹿折地区にある共徳丸。
津波によって海から約800メートル離れた場所に打ち上げられた船。
この船は近々取り壊すことが決まっていたが、
今日、今月9日から取り壊すことが正式に決まった。
僕はここに何度が来たことがあるけど、ここに来るたびにいつも考えさせられる。
休日になると車や観光バスなどで次々に人がくる。
取り壊しが決まってからのお盆の時期、
最後に一目見たいという人が多いのか、今までに見たことがない人でごった返していた。
ここに来る観光客は目の前にある船に釘付けになり、
車から降りたらすぐにバックやポケットからスマホやカメラを取り出してひたすら写真を撮ろうとする。
そして、手を合わせようともせずに帰る人が大半。
こういう観光客は、
写真を撮ることに夢中になり、何も気付かない。
献花台があること。
献花台の立て看板に書いてあること。
車がぺっちゃんこに船に押しつぶされたままになっていること。
船の近くにお花が備えられていること。
中にはこんな観光客もいる。
ピースサインで記念撮影する人。
写真を撮りたいがために人様の家があった基礎部分に何も考えずに踏み入る人。
人様の家があった塀に登る人。
人様の家があった基礎部分で遊ぶ自分の子供を楽しそうに見る親。
立ち入り禁止の中に入る人。
僕はこういう人たちのことを冷たい目で見る。
人が亡くなった場所なんですよ。
人の家があった場所なんですよ。
人の生活があった場所なんですよ。
どうしても我慢できなかった時に、
上記のことを言ってしまったこともある。
自分のことに置き換えてみて。
もし火事などで自分の家を失った時、
他人に自分の家があった場所を踏み荒させたら嫌でしょ。
たまたま、船の近くに家があったおばあちゃんと話をしたことがある。
「そこの人がいっぱいいる場所に私の家があったんだよ。」
この時のおばあちゃんの悲しい顔、
今でも忘れられない。
これからも絶対に忘れない。
共徳丸の保存に地元の人は7割反対した。
見たくない。
保存にはお金がかかる。
という考えが多いと思うけど、
非常識な観光客が訪れるのを見るのが嫌っていう人もいるんやないかな。
先日、約30名の中学生と一緒にここを訪れた。
中学生が人の家があった場所に足を踏み入れていると先生が、
「そこは人の家があった場所。入ってはいけない。どうしても入りたいときは『お邪魔します』と一言言う」
こういう大人がいることにとても嬉しかった。
同行していた震災伝え人の共徳丸の話を聞いた後、皆で手を合わせた。
その後、写真を撮っていた。
非常識な観光客が多い中で、
こういう姿を見るのは初めてで僕はものすごく感心した。
現地の人の気持ちを考えて心が成長した中学生の姿を見て、この記事を書こうと思ったんですよ。
写真を撮ることはダメだとは言ってない。
むしろいっぱい撮って伝えてほしい。
僕もいっぱい撮る。
書いてきたことは共徳丸のみならず、
南三陸の防災庁舎もそう、
石巻の大川小学校もそう、
被災地どこもそう。
何気なく見ているところ、足を踏み入れているところには暗い暗い裏側があるんですよ。
多くのモノが奪われた場所だということを考えた上で、
足を踏み入れてほしいな、
写真を撮ってほしいな、
手を合わせてから写真を撮ってほしいな。
《被災地は観光地ではない》
コメント
初めまして、記事を観ました。この船を残すとお金がかかる観光客の行いも悪いここに家があった被災者と方もこの船を観ると辛くなるとのことで取り壊すことが決まっているとのことですが、私はこの船が津波でここに流されて来たと言う証しになるんじゃないかな〜と思いました。壊してしまうと取り返しがききませんそれも残念なことだと凄く思います。九州の地から
続き
被災者の方のご冥福をお祈りいたしますm(_ _)m。
>匿名さん
コメントありがとうございます。
残すのか、残さないのか、とっても難しい問題です。
これからずっと見てくのは地元の方なので、地元の方の気持ちが一番なのかなって今は思っています。
こんにちは
船を残す残さない件、
普通に考えれば自分の家の近くに
いつまでもこんなんあるの嫌でしょう。
「震災を風化させないため」って
皆さんよく仰いますが、
地震対策、津波対策をしっかり歯止め出来れば
震災は風化、忘れてもいいのではないでしょうか?
被災された方がいつまでも覚えていたいと
思っているとは考えにくいのですが。
対策さえちゃんと出来てれば
嫌な事は忘れたくないですか?
>匿名さん
コメントありがとうございます。
あの観光地化している共徳丸の姿を見るのは嫌な人は多いと思います。
もし残っていたらこれからもずっとその姿を見ていくわけですから。